私は都内で3人の子供を育てながら働いてきました。「真夜中のタンパク婦人」を開発するきっかけとなった、3人目を出産する前に起きたエピソードを聞いてください。

会社員の時30歳で結婚、31歳で第1子を出産しました。育児休業を経て仕事に復帰してから家事育児と仕事の両立で、右往左往しながらも、若さもあって忙しい日々を乗り切ることができました。

そして3年後、34歳で第2子を出産。この時も育児休業後、仕事に復帰したのですが、当時は保育園に入るのが非常に難しい時代でした。
なんとか入園が叶っても長女と次女で別園。
仕事を超速で仕上げ2箇所の保育園へ一人づつ迎えに行く日々。この頃から子供を寝かしつけた後、家事雑事をしていて、体力的にも精神的にもキツい時期になりました。

そんな忙しい時に3人目を妊娠。さらにその頃、夫が転職をし、なかなか家に早く帰って来れなくなってしまったのです。日中は出勤し、大きなお腹で2人の乳幼児をワンオペで子育てする日々。体力的にも精神的にもピークにきていました。

そんな日々を過ごしていくうち、私自身おかしくなっていきました。ある時、風呂をすませ、着替えをしている時長女が「プリキュアのパジャマじゃないと寝ない」とだだをこねました。
ただ、子供はちょっと甘えているだけ。そんなことが、その時、私を爆発させてしまいました。「どうして!なんなのよ、もうやだ、おかあさーーん」といって私自身が母を求めて泣き出してしまったのです。

長女がひたすら私に「ごめんね、ごめんね」と言うのですが、わたしはただただ、泣いてるだけ。寝不足と疲れと余裕のなさで、子供を慈しむ余裕なんてありませんでした。さらに追い討ちをかけることが。3人目の妊娠が安定期に入った頃仕事中のある時、つーーーーーと感じ、トイレにいくと同時に足元にドバッと血の塊が床に落ちました。それを見て目の前が真っ白になって過呼吸に。

「冷静にならなくちゃ。まずは病院に連絡、そして上司に病院に行く許可をもらう」頭の中で状況を整理しつつも不安と混乱で嗚咽しながら、床の血を拭きました。タクシーで病院へ直行、診察の結果、胎盤剥離でした。そのまま緊急入院です。ずっとベッドの上で病院の天井を眺めながら泣いていました。

泣きながら心の中で「神様、助けてください。
お腹の子が助かったら二度とあんな体の使い方しません」とひたすら祈り、今までの無理をお腹の子に謝り続けました。

2週間入院しました。なんとかお腹の子は持ち堪えてくれ、4ヶ月後、無事産まれてくれました。。。

(今、末っ子は8歳です^ ^)

私が休息にこだわる、ひとつのきっかけになった体験でした。忙しい日々、みなさん色々大変なことがあると思います。疲れていたら、大切な人に接する時、相手を想いやる余裕をなくし、時には思いがけず傷つけてしまうかもしれません。それはお互い辛いことです。
どうか自分の大切な人のためにも、より良い休息をあなたがとってください。

開発秘話、ブログにて続きをご覧ください

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3人目の出産で起こった悲劇

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「フレイバーが邪魔」「大豆プロテインの豆臭さ」試行錯誤した結果

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食事、運動のコントロールはできても「睡眠」のコントロールは難しい

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過去に失敗したけど、またやってみたい。
子供が手が離れてきてから再度挑戦